チョモランマ山下とは?

「自分らしく生きる」とか
「自分らしく働く」ってよく耳にするけど、
「自分らしさ」ってなんだろうって、
考えてみました。

ぼくの出した答えは、
「感じたことを素直に、行動できること」。

これがやりたい! と思っていても、
行動するまでにいろんな葛藤が出てきて、
躊躇してしまうことたくさんあると思います。

本当はこう思っているんだけど言えない。
どうせわたしなんてできるわけない。
何か理由をつけて、行動に移せない。

でも、ボードゲームではその葛藤がなくなるんです!
思ったことが素直にアクションできるんです!
そこには、年齢や容姿、性別など、
あらゆるコンプレックスがなくなり、
不思議と童心に返る瞬間が生まれます。

ボードゲームには、そうさせる不思議な魅力があることに気づきました。

必死になってあそんだあとは、
心の底から楽しかった! 気分がいい! 
と感じれるはず。

それは言い換えると、
自分ってこんなに素直に感情に出せるんだ、
こんな一面もあるんだ、
とここちよさを体感できたからだと思います。

その「体感」をサポートするのが、わたくし「チョモランマ山下」の役割です。

その感覚をゲームが終わったあと、持ち帰って頂き、
「自分らしく」「ここちよく」暮らしていただけたら、こんなうれしいことはありません。

チョモランマ山下のこれまでのこと

1984年3月

 岐阜県郡上市でうまれる。

自然豊かな町で、7人家族、3人兄妹の長男として育つ。
性格はおとなしく、真面目なタイプ。
歩調を合わせるのは得意な反面、周りの目線を常に気にしていた。
小学生時代

ボードゲームとの出会いは、
親戚が集まってあそんだ「人生ゲーム」

スーパーファミコン全盛期に、ルーレットを回し、コマを進める、なんともシンプルなアナログゲームに夢中になった。
そこには、無心に楽しむ素の自分がいた。そして年齢や性別も関係ない、一体感のようなものも感じた。
その空間がなんともいえずここちよく、今でも胸の中に残っている。
19〜24歳

一瞬で打ち解けるボードゲームの魅力

大学、社会人と、寮生活で大人数と一緒に生活する環境が続いた。
そこでみんなで楽しめるものは何かないかなとなったとき、ボードゲーム熱が再発する。
全国各地から集まった同士。生い立ちや個性も様々。
それがボードゲームをすると、分け隔てなく一瞬で打ちとけた。
そのボードゲームの魅力に惹かれ、気づけばゲームを買い漁るようになっていった。
25歳

地元岐阜県郡上市のメーカーに転職

地元に戻ってもボードゲーム熱は覚めず、なんとかゲーム仲間を作りたいという思いから、
カフェに「ボードゲーム会をやらせてほしい!」とチラシをもって企画をした。
そのオーナーがとっても気さくな方で、さっそくゲーム会を開いてくださった。
そのゲームが本当に盛り上がり、定期的に開催させていただくことに。
そこから、ゲストハウスや子ども会などでボードゲームを絡めたイベントも増えていった。
34歳

突然身体が動かなくなった

メーカー勤務9年目の12月末。朝、目が覚めても、身体が動かなくなる異変が起きた。

小さいころからアトピーもちで、それが一気に悪化したことと、仕事量が増え、精神的にもストレスが重なったことが原因だった。
とりあえず会社に電話をし、その日は休んだが、次の日も、その次の日も、朝起きることができなかった。
病院での診断結果は「うつ病」。
そのから、約9か月間のひきこもり生活が始まる。

唯一の癒しの時間がボードゲームだった

このままずっと働けなくなったらどうしよう、家族も家のローンもある。
でも、身体が動かず、無気力状態。

ネガティブなことだけが頭の中でぐるぐる回る。
そんな中、どうせ何もできないなら、好きなことだけをやろうと、ボードゲームであそび始めた。
本来、人が集まってあそぶのを、一人3役でひたすらあそんだ。

その時間は、ネガティブが感情が薄れ、心が晴れていくのがわかった。
それと同時に、この感情をもったまま過ごせれたら、なんてここちがよいだろうと真剣に考えるようになった。

服部福太郎さんの一言が人生の転機に

会社に行けなくなってすぐ、相談させてもらったのがエムエム・ブックスの服部福太郎さんだった。
9か月ぶり再会し、まだ、家で引きこもっていることに驚かれる。
そして、「どうせ家にいるなら、うちにあそびにきたら?」とお声かけいただいた。

うちというのは、エムエム・ブックスのこと。服部みれいさんがいらっしゃる編集部のことだ。
こんなぼくが行っていいものかと思ったが、これを逃したら絶対後悔すると思い、
「明日から行きます」と即答した。
同じタイミングで、みれいさんがラジオ番組「声のメルマガ」を始めれるとのこと。
机の上はボイスレコーダーが。みれいさんから、「収録手伝ってくれない?」と依頼される。

またとないチャンス。9年勤めた会社を思い切って辞め、声のメルマガのアシスタントとしてお手伝いさせてもらうことに。
真っ暗闇から光が差し込んだ瞬間だった。

『チョモランマ山下』誕生!

エムエム・ブックスに通いはじめて何日か経ったころ、みれいさんから、
「ライブやるからその二次会にゲーム会やってよ」とお声かけいただいた。

ライブの盛り上がりそのままに、ゲーム会も大盛況。
そんな中、突然「山下君のあだ名付けよう」という流れに。
名前に”山”が付いているという理由だけで、「キリマンジャロ山下」とか「エレベスト山下」など、
その場にいたみんなが好き勝手に言い出した。

そして、福太郎さんが「『チョモランマ山下』いいじゃん!」と、一言。
ぼくは全然しっくりきてない中、周りの反応は上々。
ふと横をみると、みれいさんが早速画数を調べている。
そして、「この名前、バッチリ!」と、断言。
ぼくの意見はなにも反映されず、『チョモランマ山下』が誕生。

この日から ”ボードゲームファシリテーター チョモランマ山下” として活動を始めることになった。

トランスフォーメーションゲーム®︎の存在を知る

みれいさんのご好意で、声のメルマガで、ぼくが話す機会を与えてくださり、
リスナーのみなさんに、チョモランマ山下の活動も知っていただけるようになった。

そんななか、あるリスナーさんから、
「トランスフォーメーションゲーム®︎という、スピリチュアルなボードゲームがある」と教えていただく。
ボードゲーム好きとして、これはぜひ体験したい!と、お願いし、数日後ゲームに参加することに。

それは、今まで体験したボードゲームとは全く異なるものだった。
まず最初に、今一番解決したことや、どんな自分になりたいのかを目標設定する。
それを参加したメンバーと一緒に進めていく。
一言でいうと「リアル人生ゲーム」。

ぼくは、「軽やかに生きたい」と目標設定した。
Setbackのスクエアに止まったとき、幼少期の親との関係を思い出す瞬間があった。
過去の痛みを振り返り、それを強みに変えるスクエア。
それは、ボードゲームを使った、自分を見つめるワークだった。
こんなに自分を見つめた時間は初めてで、終わったあとも、
このゲーム®︎の余韻が続いていた。

ファシリテーターになりたい

トランスフォーメーションゲーム®︎のファシリテーターになりたい。

そう強く感じたのは、初めてゲーム®︎を体験した1年後のこと。
ご縁いただき、神戸で1泊2日のトランスフォーメーションゲーム®︎をプレイすることに。
そのゲームは、ファシリテーター3名、プレーヤー8名のグループゲーム®︎だった。
一度ゲームを経験したこともあり、流れもわかり、周りの話しも聞く余裕もあった。
何よりファシリテーターの3名の方の進行がとっても軽やかで、アドバイスも的確。
輝いて見えた。

気づいたら、プレーヤーとしてよりも、ファシリテートに注目している自分がいた。
ゲーム®︎を終え、思い切って「どうやったらファリシリテーターになれますか?」と尋ねた。
そして、ゲーム®︎が生まれた場所、フィンドホーンで研修を受けることを知る。
それと同時に、なりたいとは言ったものの、このゲーム®︎のファリシリテーターがぼくにつとまるのか。
自分の中で葛藤が始まったが、これを逃したら後悔する自分がいることだけははっきりわかった。

後悔しないためにも、フィンドホーンに行くことを決意する。
2019年9月

北スコットランド、フィンドホーンへ

神戸でのゲーム会から半年後、念願のフィンドホーンへ。
2週間で100時間の研修プログラム。遅い日は夜9時までかかることも。
なかなかのハードスケジュールだったが、一緒に参加したプレーヤー、トレーナーも恵まれ、
ゲーム®︎にだけ集中できる環境は至福のときだった。

そんな中、ある日、海岸沿いを散歩していたとき、
「何があっても大丈夫。ここに存在しているだけで大丈夫」と、
なんとも言えない自己肯定感に満たされた瞬間があった。

なんの根拠もないが、その感覚を掴むためにフィンドホーンに向かった、といってもいいくらい、
胸が熱くなった瞬間だった。

研修を終え、無事ファシリテーターの資格を得ることができた。
フィンドホーンでの2週間は、まさに人生が変わる体験だった。

全国各地でゲーム会をやらせてもらうことに

帰国後、おかげさまで全国各地からお声かけいただき、ゲーム®︎会を開催することに。目標としていた、『取得後1年で100人の方とゲーム®︎を開催』を達成。ファリシリテーターという立場だが、毎回プレーヤーから学ばせていただき、刺激を受ける日々。
2020年12月、エムエム・ブックスを卒業し、ボードゲームファシリテーター1本として活動を始める。